ロボコップ



1987年公開、ポール・バーホーベン監督作『ロボコップ』シリーズのリブート版新ロボコップ。
アメリカ合衆国という国柄を全面に押し出しながら、最大の皮肉とリスペクトを込めた演出に愛を感じる。
冒頭のMGMのトラに音を重ねたところから、変態ぶりも伺わせつつ、
黒のボディーの意味、右手への逆オマージュは見事。
物語として、人間に感情がある、家族が受け入れているという新たな設定にし、旧シリーズとは別のベクトルであることをあらわしていた。

裏切り方の展開がややチープでカタルシスを感じることが出来なかった点は残念でした。

中東紛争とアメリカの関わり方など、近未来の設定ながら、現代社会の風刺を皮肉的に、それをキャスターのサミュエル・L・ジャクソンに言わせてしまう辺りに変態ぶりがある。
彼の役はかなりおいしい位置づけにあり、老けてしまったゲイリーオールドマンの医者役もいささか物足りない印象。
バーディー感も希薄であったが、
監督なりに過激描写を作り込んでいたのが見事で、ドキュメントタッチの新ロボコップが誕生した瞬間だった。
意外と侮れないです。

2014/ジョゼ・パジーリャ/★★★☆☆☆



はなしかわって



ハルハートリー最新作。
彼らしい詩的な演出は残しつつ、現代寄りな風刺をシュールなユーモラスさで描く。
口座凍結を理由に、話が膨らむ物語は見事で、主人公が振り回される展開は痛快。
60分に凝縮し、ラストのシニカル感は笑いながらガッツポーズ。
単ハッピーエンドではないとはこのことか。

2011/ハル・ハートリー/★★★★☆☆


アナと雪の女王



カッツェンバーグがドリームワークスに行って以降、低迷していたディズニー映画だが、ラセターがピクサーと兼任でCDに就任するのを一つのキッカケに、そして今作で完全復活を果たす。要因は、伝統のプリンセス映画、ダブルヒロイン、初の女性監督、など全てがうまくハマっていた。

歌に力を入れた売り方もジブリ同様見事で、予告で長尺の「Let It Go」を全て流して惹きつけ、この先にもっと魅力的なシーンが広がっていることの自信のあらわれでもある。実際このシーンは始まって40分くらいだったのでむしろここから物語が大きく動く。

えっ?となる展開も無くはないが、ラストに向けて感情が高まりこみ上げる寸前にまでなった。面白いです!また、短編含め完全に3D仕様に作られているので観るなら3Dの方が断然お勧め。今週は日本橋もオープンするので、次は3D Dolby® Atmos™で観たい。

敬遠せず、是非劇場へ!

2013/クリス・バック、ジェニファー・リー/★★★★☆☆


LIFE!



ベン・スティラー監督・主演でジェームズ・サーバーの小説を映画化した、1947年ノーマン・Z・マクロード監督『虹を掴む男』のリメイク作品。ファンタジーを超越した壮大な妄想を力に現実の旅に出る。その夢のような大冒険は人生を豊かにしていく。ベン・スティラー最高の新境地へ。

想像の世界は夢と希望に満ち、愛に包まれていた。様々な仕掛けのメタファーを一つ一つ紡ぎ取るだけで観客は映画の主人公に。彼の心はヒーローの心臓で脈打つ。その供給のスイッチは僕自身が持っていた。ヒロイックな物語にユーモラスな描き方のバランスも流石で、映画の旅は一瞬だった。

妄想と現実の境は最早なく、切り開くのはトム少佐でありそれは自身自身。そんなメッセージは強く打ち出され、ありきたりな言葉だが、感動した。大好きなボウイの「Space Oddity」がキーアイテムとして使われていて、流れる度に感情に語りかけられ、涙が溢れた。

泣く作品ではないだろうけど、僕は泣いた。映画という行為に出会って二年半、映画と共に歩んできたが劇場で泣いたのは『フラッシュバックメモリーズ3D』『ゼロ・グラビティ』についで三作目となった。何度でも観直したい、その都度発見があるだろう。最高の一本でした。

この作品の素晴らしいところは、予告で大きく取り上げられる妄想癖に重きを置いていないこと。重要なのは、現実をどう生きるか。夢は大切だけど、叶えるためにどう現実で行動するかの問い。アクションを起こそうと鼓舞させるような演出と台詞たち。観て元気になる映画って素敵ですね。

パロディと思われるシーンも沢山あり、様々な映画を思い浮かべました。ラスト前に、冒頭の言葉をそのまま上司に突き返すシーンは痛快でその後のスローガンの掛け合いには笑った。LIFE誌最終号のラスト、ネガの真相、幽霊ネコ。「美しいものは目立つことを嫌う」相応しい結末。

今年を代表する一本。是非。

2013/ベン・スティラー/★★★★★☆


劇場版 テレクラキャノンボール2013



内容は書かない約束。
今年の軸になるであろう作品。

2014/カンパニー松尾/★★★★☆☆


グロリアの青春




詩的な台詞の引用だったり色々なメタファーに満ち溢れている映画。
最近、50代女性など第2の人生賛歌、恋愛模様の映画が多いのは何だろう。
ラストにかかるウンベルト・トッツィの「グロリア」に当てた名前選びなのかと思うくらいの高揚感。

デモ隊のシーンなど、
チリという国柄の社会的情勢に反映されていて、
振り向いて突如脱ぐシーン、
突然現れる孔雀には何が待っているのか。

現れては消える猫、
メイドの叱りに込めたその存在の意味、
猟奇的な上階の住人、
彼の叫びはグロリアへの吐露暗示、
意味深な封筒、
捉え方で全てが変わる物理的、だけど浮遊しない心のメタファー。
車のシーンは特に印象的で、
あの台詞に全てを投影しているように、感情と向かう方向で変わる。
行きは加速し、帰りは失速する。

下り坂の彼女のこれからを、
春にするべき奮闘する上り坂の青春。

チリの、パウリーナガルシアによる、「グロリア」のための映画。

2013/セバスティアン・レリオ/★★★☆☆☆


五つ数えれば君の夢



インディペンデントで喝采、大注目の眼差しを浴びる若手監督、新星山戸結希。
処女作『あの娘が海辺で踊ってる』が東京国際映画祭で評価され、ポレポレでは異例の大ヒット、
短編がぴあで入選し、
去年の『おとぎ話みたい』は絶賛された。
今、瞬く間に階段を駆け登る長編二作目は、東京女子流をキャストに迎え万を辞して劇場公開!
とあり、公開前から楽しみに、公開直後に観に行ったのですが...

んー、、残念。
監督のはっきりしたビジョンと世界観は色濃く出ていて良かったのですが、キャストが受け止められていない状況が最後までオチなかった。
冒頭からタイトルインまで、5人の群像劇がどう進むのかと期待させる高まり演出だったのですが、常に世界が人を上回り続け、与えられた設定が浮き彫りになり過ぎて違和感があった。
若手キャストだからしょうがないのかとも思ったが、結局はOKを出すのは監督だから、あれが狙っている画だとしたら、僕には縁遠い作品だろう。

若い女の子を綺麗に撮るのがうまい監督だという印象は変わらないが、今回はアイドルのためのアイドル映画色がどうしても拭えない。

ほぼ全編、ピアノ音のリピートで、シーンによって、ノイズが入ったり、軽やかになったり、心情や場面がシンクロしていく演出は楽しかったが、もっと圧縮してスピード感があっても良かったのかな、と思ったり。

デパルマカットのような編集が随所にあり、全員の重なりを表現するには適切なのかもしれないが、
縦横無尽に動き、プールの飛び込みシーンは唖然として、えっ、これ???
と頭は真っ白に。

綺麗な画で、お嬢様のような制服にそぐわない中央線沿線の錆び付いた校舎、
設定を含め構成がよく分からない。

詩的なセリフの連続に、女の子たちは自分のものに出来ていないから、言わされているようにしか聴こえなかったし、学園生活は誰しもが通る道だけに、もっと忠実に描きながら夢をチューニングするべきだと思った。
ありえないよそれ!というのがたくさん。

ただ、中野駅前のオブジェで交差する撮影は、この思春期にある複雑な感情をあてていて、美しく観られた。

もっともっと良く出来ただろうなと思うから、これからこの監督が商業に化けたら恐ろしいだろうなとも思う。

どちらにせよ、注目であることに変わりはない。

2014/山戸結希/★☆☆☆☆☆





パラダイス三部作


パラダイス愛


パラダイス神



パラダイス希望



オーストリアの異才、ウルリヒ・ザイドル監督の『パラダイス』三部作。
バカンスを過ごす女性三人の活劇を、日常に潜む違和感をユーモラスに浮かび上がらせた作品。

それぞれ独立した作品ではあるが共通しているのは二つの対比。
先進国と途上国の根底にある意識、
白人と黒人の根本的な生き方、
裕福層と貧困層、
ビジュアル的に、また意図的に捉えられている体型の瘦身と肥満。
全てを作為的に皮肉が込められ、社会に突きつける。
それをユーモラスに描くものだから、軽快に笑いがあり、むしろその皮肉さえも話の1部として組み込んでいる演出。
歪な構造と歪んだ感情は同調すると、こんなにも豊かな物語として成立するのかと驚くばかり。

三部作としての企画ではなく、短編と集まりだとも語っているように、独立しつつも、三人の姉妹が辿る道筋に、今あるべき社会となりきれていない社会のコントラストが白と黒のように交わらない表と裏は常に表裏一体であると証明した作品だった。

三大映画祭で出展されており、
ハネケに並びオーストリア監督として覚えておかなければいけない光を観た。

個人的に、愛が1番好きでした。

2012/ウルリヒ・ザイドル/★★★★☆☆





愛の渦



人気劇作家でポツドール主宰の三浦大輔が、第50回岸田國士戯曲賞を受賞した伝説の舞台「愛の渦」の映画化。
映像にするにあたり脚本を書き直し、舞台とは違う映画『愛の渦』の滑稽で剥き出しの性欲が渦巻く。

内容だけにR18に指定されているが、欲望と移りゆく人間関係はどの世代にも当てはまる。
故に、それ以下の世代が観ても全然有りだと思ったし、それこそ映画の恐怖体験、トラウマ体験だとも思う。
うっかりつけたTV番組がとんでもない事になっていて、その時は怖くてたまらないのに、いつしか成長した時に残像して映像の記憶が蘇り、自分の何かしらの血となっているような。

キャッチコピーになっている、
「着衣時間が全編中たった18分半。」
舞台では描かれなかったプレイルームをどのように映画として表現しているか観る前からワクワクしていた。
それは、男としての性の部分というよりは、カメラにどう収まるかということ。

もちろん最大の見所は、性欲。
多種多様な世代、職業、性格、人間の卑怯さやいやらしさが交錯する男女の異種格闘技戦を生中継で観ているようなドキュメント性をもつエンターテイメント。
それゆえに、優越感と劣等感がじわじわと浮き彫りになり、初対面で会話すら生まれなかった冒頭から一転、
一度身体を交えると一気に状況は変わる。
会話が生まれ、少しずつ本性が顕在化していく。
そして、二度、三度と性交渉があるたびにたった数時間なはずなのに、喧嘩が起こり、乱交パーティーなはずなのに相手を選び出す。
このいやらしい人間の本性、性欲の性こそがリアリティを孕む愛の渦の魅力なのだろう。

着衣していないのが基本だから、観客は一種の錯覚を覚える。
服を脱ぐという行為で、表面的にはさらけ出されるのは身体。
だがしかし、実は服を着ることは身体よりも心の部分、性格や本性を纏い隠している。
これに気づくのはラスト直前の全員が集まるシーン。
服を着て登場する8人に戸惑った。
2時間観ていたはずなのに、こいつらは誰なんだと違和感すら覚える。
それくらい、剥き出しにされた彼らに没入していたのかもしれない。
このシーンのふと流れているTVの占いの声、彼らを暗示しているような演出で1人クスクスと僕は笑っていた。

注目していた、どう映像化するかという点で、この作品は特質していて素晴らしい。
天井を回るシーンを筆頭にアングルがとても良かった。その視点は人物の視線に乗り移り感情と笑いが呼応し、スクリーンと観客が一体となる。閉鎖的展開を幾つもの波を生み出し止まらない。
場面のほとんどを一室で過ごすから多少の中だるみや飽きを感じてしまう部分はあったがほとんど気にならなかった。
豪華共演となった役者陣。
池松君は、何か隠し持ったような独特なテンポは今回も光っていて益々注目ですし、
喘ぎ声を密かに練習していたという門脇麦は、映画冒頭から徐々に成長していくセルフドキュメントのようで観ていて気持ちよかった。
あんな人こんなところこないだろうなーとずっと思いながらも、秘めた性欲にただただビックリした。
特に良かったのは駒木根隆介の演技が素晴らしかった。
なんとも言えないあの不甲斐ない感じ。これは対照的に、あんなやついるよなーとずっと思っていた。
また童貞というのがツボで、彼も回数を重ねるにつれ成長していく過程は笑いの要素を一役かっていた。

バランスとタイミングが噛み合った作品。

冒頭のタイトルインまでが圧巻でとにかく素晴らしい。
過去の作品を観ても、あそこまでよく出来たタイトルインはなかなか思い出せない。
音楽とともに一気に感情は加速し、ラストの目線、彼女は2時間何を観ていたのか。
それは、個々の本性のままに。

2014/三浦大輔/★★★★☆☆



ダラス・バイヤーズクラブ



アカデミー賞6部門ノミネート、3部門受賞し、ジャン=マルク・ヴァレがエイズ渦と呼ばれた80年代に生きたウッドルーフの半生を描く。
とにかく受賞した、マシューマコノヒー、ジャレッドレト、メイクのロビン・マシューズが凄い。それだけを観に行くだけでも価値がある。

今作の魅力は、マシューが演じたウッドルーフがクソ人間であるということ。そこに人物像を見出し、結果的に彼がたまらない存在として現れていくという構造にグッとくる。

ディカプリオやブルースダーンに勝ったマシューも、
ジョナヒルに勝ったジャレッドレトも痩せた姿の評価が大きく取りざたされるが、彼らの演技はそれを土壌とし本当に素晴らしく、美しかった。

エイズによってもたらされた余命30日をどう生きたかという話が主題ではなく、立ち向かった先に起こる彼の人生賛歌と心情の変化をメインに据えた脚本の技が光っている。
あの展開の上手さには唸ったし、停滞していた彼の半生は、エイズが蝕んでいくことはむしろ描かれない。

エイズが彼を生かしていく。

それは矛盾の肯定でありますが死期迫る男は、余命宣告が彼の人生の始まりの合図。
とても不思議な構造に胸打たれました。

様々なメタファーも、浮かぶ台詞の数々も余韻の波に拍車をかける。

「国民が選択肢を見つけるのが怖いんだろ!」
とまさに現代に投げかけたかのような叫び。

「今は生きているのに必死で、生きている気がしない。生きている意味がないよ」
という台詞にぼくの興奮はピークに達し、ここから僕は完全に映画の住人でした。

こういった素敵な映画的映像演出に溢れているのです。

終盤のこちらを見つめるピエロ。
あれにどれだけの問いと意味があったかは分からないけれど、
客観視した滑稽さの投影のように感じました。
『楽隊のうさぎ』の語られないうさぎのような。

対立していたウッドルーフとレイヨンはエイズによって共鳴し合い、エイズによって絆を強くし、エイズとともに生きた。
レイヨンの死は、伏線の回収にもなるのだが、僕自身も友人を失ったかのような喪失感に苛まれた。
彼の生きた人生はウッドルーフの道標となり希望の轍となって顕在化する。

冒頭とラストはロデオという不安定な上に成り立つ。

人生はどんなに大きな揺さぶりがあろうとも、必死に振り落とされないように歯を食いしばる。
それはまさにこのロデオであり、握り締める手綱はレイヨンであった。
その視線の変化を自然とやってのける監督の演出に賛辞を贈ります。

もったいなかったのは、
登場する東京の映像。
あの80年代にはそぐわない渋谷スクランブルと新宿東南口の通り。
毎日あの付近を通り働く僕としては違和感でしかない。
シネマカリテで観ていた観客は「そこじゃん!」となっただろうな。

そんな感じ。観て損はないアンサンブルを堪能してください。

2013/ジャン=マルク・ヴァレ/★★★★☆☆



キック・アス ジャスティス・フォーエバー



単館上映でわずか4館の上映から口コミによって70館にまで拡大し大ヒットを記録したアメコミ原作の前作『キック・アス』の続編。
それはもう4年前の話で、当時12歳だったクロエモレッツはすっかり成長してる。
設定は、あれから3年後のキックアスとヒットガールを描いているのだが...

感想としては、想像通りではありますがかなり残念な作品に仕上がっていますね。
でも、これはもうしょうがないことなのかもしれない。

『キック・アス』は所謂、ヒットガールへの萌え映画。
それを軸として、それ以外の設定が骨太に描いているため相乗効果がうまれていた。
主人公が一般人というのは今までにあまり無かったし、ヒットガールの親子関係、そして漫画と違うラスト。
あのロケットを使ったラストのカタルシスは爽快で鳥肌が立つような演出で素晴らしかった。
そういった緻密な構成が前作にあり、シリーズ物が故に今作は見ていられなかった。

いくつかその点を挙げると、
・キックアスが弱くない(マッチョ)
・ニコラスケイジの損失
・構成がスパイダーマン
・そもそも製作次期が遅い
・宿敵マザーファッカーに魅力がない
・ジムキャリーの無駄使い感
・マザーロシアの存在
・詰め込まれ過ぎてまとまらないお話

といったところだろうか。

本来はキックアスが一般人であり、その奮闘ぶりとヒットガールとの絡み合いからうまれる感情移入みたいなものも魅力の一つであったが、今作はキックアスの短く映し出されるトレーニングでかなり強くなり、そもそもアーロンテイラージョンソンがかなりマッチョで頼りなさも感じなかったし、前よりかなりイケメンになっていた。
それじゃあ意味ないんだよなー、と。

ニコラスケイジが死に彼の存在の大きさを見せつけられたし、
その父の仇であったり、関係性がスパイダーマンと全く同じでそれはどうなのかな。糸が出るか出ないかの差しかない。

前置きの通り、クロエモレッツ萌え映画として成り立つ今作は、製作次期が遅すぎる。
すぐ製作に取り掛かり、クロエの存在はそのままに新たなストーリーにすればもっと展開は変わっていただろう。

そして、突如現れたマザーロシアの存在。これが話を狂わせた。
強過ぎる!と思いきや一転して対抗手段はアドレナリンという膨らみのなさ。
明らかに敵キャラとして描いてしまっているが、敵キャラの魅力がバトルアクションの1番の見せ場でもあるから、凄く典型的な型にはめすぎていて薄く仕上がった。

少女クロエの話はもう使えないから、彼女自身も製作に加わったらしいのだが、やりたいことを詰め込み詰め込みという具合に散らかった内容に。
学園モノ、ラブストーリー、親子関係、チームでのバトル、キャラ作り、全てが中途半端でジムキャリーが無駄死にで残念でした。

ラストのあれは本当にやってはいけないこと。
終わったか、と思ってさらにあの病院のシーンで興ざめしてしまった。

三部作としてやりたいのであれば、もっと製作の段階からプロットを作り込んで欲しいです。

前作に比べると笑いの要素も少なかったが、ゲロゲリ棒の軌道は衝撃的でした。

2013/ジェフ・ワドロウ/★☆☆☆☆☆






それでも夜は明ける



今年のアカデミー作品賞受賞作品。
スティーブ・マックイーン3作目にしてこの境地に。
物語は、題名の通り明瞭。
構造も分かりやすく単調なのだが、一方で物語は事実に基づきながらとても奇妙な創りと孕む感情は複雑だった。
観おわった直後の率直な感想としては、内容は全く別として、アカデミー会員を揺さぶり、好まれ、作品賞取るんだろうなーと思ったが、何故この作品が受賞したか理解出来なかった。
これ、そんな作品か?という具合に。
賛否が早くも分かれているが、僕は完全に否定派。

前作『SHAME』で圧倒的な演出力を見せつけたスティーブ・マックイーンは、今作でもその才能をいかんなく発揮している。
共通しているのは、露呈してはいけない或は出来ない、個々の、歴史の「恥部」を物語を通じて明らかに隠しながら露呈させていく点。
逆接のテーマが浮き彫りになる。
だから奇妙であり、演出の上手さなのだ。

アメリカは明らかに今回のような奴隷制のテーマを避けていた。
ここに挑戦したこと、成し遂げたことに賞賛が贈られていることは理解出来るし、これからやらなければいけないこと。
だけど、映画、特にエンターテイメントとしてこれは全く別で、今作にはそれを感じられなかった。

逆に、天晴れなところは
冒頭の説明しない奴隷の虐げられている映像が後に展開し繋がっていくところは気持ちが良かった。

そして、何度かある長回しのショットは素晴らしかった。
特質して印象に残ったのは、やはり主人公が立ち向かった結果、長時間首を吊られたシーンは歴史に残るのではないだろうか。
本当にそこだけ見るだけでも価値はあると思う。

劇中に登場する、奴隷達が奏でる魂の叫びとでも呼ぶにふさわしい唄と詩は、今でも僕を掴んで離さない。
エンドロールで再び僕は鳥肌がたち、映画の余韻の中に足を踏み入れざるを得なかった。
実際、あの歌声が今でも頭をよぎる。

ラストシーンに納得がいけば良い感想になったのかもしれない。
あそこは、眼で語り、映像だけで問い掛けて欲しかった。
あそこに疑問を持った人はどれだけいるのかな。
それにしてはあっさりしていて、無駄な会話に感情は失速していった。

いかにして翻弄され苦渋を舐め、12年間どのように生きたかは物語を見れば明らかだが、それに反して苦しさは横を通り過ぎ、感情はスクリーンの中に浮遊したままであった。

2013/スティーブ・マックイーン/★★★☆☆☆



土竜の唄 潜入捜査官REIJI



漫画原作を監督三池崇史×宮藤官九郎脚本×主演生田斗真で描く警察極道もの。
過激なバイオレンスをクドカンによるコメディ映画といえば聞こえはいいが、どうにも腑に落ちない。

原作物は原作とどう違うかを映画で観るのではなく、どう再現をしながら映画として楽しめるかが重要だと思う。
そもそも書籍と映像は隣にありながら全く別のフィールド。
だから、映画がどうだったか、それに尽きる。

かなり編集と異次元の世界に頼ったような雰囲気が漂っていて、今の所謂ヒットする日本映画の典型のような映画でした。
キャラクターは漫画に似せようとしていてファンはそこを楽しめたかもしれない。
ただ、際立たせ過ぎたせいか物語は日常の裏にある極道に進むのだがフィクション色が別の方向に向いてしまい入り込めなかった。
作り物はどこまで作りこむかが作品の質を左右すると改めて思わせてくれた。
浮き沈みが激し過ぎて失速していく。
ラストで妙なアクションが長すぎて追い討ちをかけるようにダレていく。
生田斗真の演技、クドカン得意の警察内部の掛け合いと唄のシーンは流石であったが、、、
堤さんはどの映画もああいう配役が多くなったな。
一時期の阿部寛のように。

劇場内は、バイオレンスに驚き、終始笑いが包み、演者に拍手を贈る。
僕はその中で1人蚊帳の外。
同じ世代がほとんどだったから、この世代がいかに映画を観ていないのかと改めて実感したし、とても悲しくなった。
最強だった『永遠の0』を破り首位に立った今作。
これが日本の現状だ。と劇場に置き手紙をして帰る寂しい僕の後ろ姿がそこにはあった。

2014/三池崇史/★☆☆☆☆☆





17歳



新たな才能マリーヌ・ヴァクトの雰囲気を演出したオゾンの強かさはさすがの一言。
現代のテーマを取り上げつつ、オゾンは何を見出したのか。
冒頭の双眼鏡然り、巧い演出、アングルから生まれる展開は見事だったが、僕は置いてきぼりだった。

2013/フランソワ・オゾン/★★★☆☆☆